『アクロイド殺し』~The Murder of Roger Ackroyd~

 ※この記事は、アガサ・クリスティーの小説、『アクロイド殺し』についてのネタばれ☆を含んでいます。これからクリスティの小説を人生のどこかで読む予定のある方は、開かないようにお願いします

アクロイド殺し (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)
早川書房
アガサ クリスティー

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ぎりぎりフェアミステ ...
「フェアかアンフェア ...
思いついた者がみなも ...
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(※以下、ウィキペディアからのあらすじ引用です☆)
 キングズ・アボット村の医師ジェイムズ・シェパードは、地元の名士ロジャー・アクロイドから夕食の誘いを受けた。アクロイドはそこでシェパードに、ある深刻な問題を打ち明けるが、その後、自室で刺殺されてしまう。警察は、事件直後から行方不明になっている義子のラルフ・ペイトンを犯人と睨む。
 しかし、ロジャーの姪フローラ・アクロイドは婚約者であるラルフの無実を信じ、隣家「からまつ荘」に引っ越してきたポアロに助けを求める。既に探偵を引退していたポアロだが、フローラの依頼を引き受け、ジェイムズを助手役に捜査を開始した。


 一言で言うとしたら、とても面白かったです♪(^^)
 でも、前にも書いたとおり、他のクリスティに関する本を読んで、犯人は先にわかっちゃってたんですよそれにも関わらず面白いっていうのは、むしろ逆に――それだけクリスティのプロットやストーリー運びが優れていることの証明とも言えるんでしょうね。
 多くの方がご存じのとおり、アガサ・クリスティーはこの小説によって一躍有名になりました。アガサがこの小説を書いていたのは1925年の冬から1926年の春の間のことで、のちに推理小説界にセンセーショナルを巻き起こすことになるこの小説の筋立ては、アガサの義兄のジェームズ・ワッツの一言がアイディアの源だったと言われています。

     「実はワトソン君が犯人だった、というような話を読みたいな」

 そして、もうひとり――推理小説が熱狂的に大好きで、アガサの若いファンでもあったという、ルイス・マウントバッテン卿の手紙にも、似たようなアイディアが書き記されていたことから、クリスティは『アクロイド殺し』という小説の筋立てを決めたようです(後年、アガサはマウントバッテン卿にそのことについてお礼を言ったといいます)。
 そんでもって、わたしはクリスティの伝記系の本に↑のジェームズ・ワッツさんの一言が載っていたために――最初から犯人が誰かがわかっちまったというわけなんですよww(^^;)
 まあ、仕方ないといえば仕方ないですけどね。本を読みながら、その時クリスティが私生活ではどういう状態にあったのか、その背景を先に知りたいっていう好奇心が勝ってしまった結果なんですから……。
 そして、諺に「好奇心は猫をも殺す」という言葉もあるとおり、この小説のワトソン役であると同時に犯人役でもあるジェームズ・シェパード先生(お医者さん)、彼のお姉さんのキャロラインは大の噂好きのお喋り好きだったりします。
 たぶん、大抵の人が読んでて「あ~、どこにでも必ずいるよね、こういう人☆」って思わずにはいられない性格の持ち主ですよね(笑)。でもそんな情報通の彼女も、まさか自分の弟が誰か人を強請って自殺に追い込んだり、はたまたその事実が露見しそうになって自ら殺人を犯していようとは――夢にも思わなかったに違いありません。
 これも、小説中に文章としてはまったく触れられていないんですけど、読者の立場に立ってみると、どうもこのお姉さんにも、問題の一因というか、遠因のようなものがあったようにも読めますよね(^^;)こんなに噂好きでお喋り好きのお節介なお姉さんがいたら、弟が犯罪者になるのも無理はない的な……まあ、小説の中では姉と弟の仲はそれなりにうまくいっているように描かれているとは思うんですけど。。。
 それと、今回もまた登場人物はみんなある意味フツーの人☆で、そのフツーの人間の愚かさかげんとか、人間としての弱さといった部分が、クリスティ独自の見解によって実にうまく描写されていたと思います。

     「誰しもがみな、何かを隠している」

 実際ポワロさんの言うとおりで、犯人はワトソン役のシェパード先生であるにも関わらず、登場人物のそれぞれが「言ったら自分が不利になるかもしれないから黙っている」っていう事柄があるんですよね。特にフローラが殺されたロジャー・アクロイドの養子、ラルフ・ペイトンの性格的な弱さについて触れている点は白眉だと思いました。
 殺されたロジャー・アクロイドっていう男は、大金持ちなんですけど、ようするにケチんぼ☆なんですね。
 そして彼が死んだのもまた、金が絡んでのことだったわけなんですけど――姪のフローラも養子のラルフも、金のことではある意味彼に弱味を握られているというのか、請求書の支払いがどうの、今月いくら必要だけどその金がない……といったようなことで、ロジャーおじさんには相当お世話になってるわけです。
 でもまあ、そういう時に「この請求書は~」とか「そんな金を一体~」とか、結構ロジャーおじさんはネチネチ☆言うタイプのほうだったわけで、金のことでは感謝し、有難く思いもするものの、でも彼に対して純粋な尊敬的気持ちを抱くことは出来ないというのか、まあ、殺されたロジャー・アクロイドっていうおっさんは、道義的に悪い人間ではなくても、そんな一面を持った人だったというわけです(ここでも、「あ~、いるいる、そういう人☆」って読みながら思う方、きっと多いと思います^^;)。
 全体として、一応殺したのは追いつめられたシェパード先生だったけれども(彼は恐喝の件についてアクロイド氏にバレそうになっていた)、アクロイドおじさんが死んで遺産が分配されたことにより、「やった!よかった!!超嬉しい!!!」っていう気持ちになった親戚や関係者も多いという結末……何かこう、こうなると結局シェパード先生はいいことをしたようにも読めるというのが、なんとも不思議な感じもします。
 最後の結びの文章――「それにしても、エルキュール・ポワロが仕事を引退して、カボチャ栽培のためなどにここに来なければよかったのに、と思う。」……ここなどは、「クリスティ万歳!!!」な感じで、本当に素晴らしい結びの言葉だと思います。ポワロさんは最後に、シェパード先生に「名誉の道」をすすめるわけですが、これは現代小説ではまずありえない結末でしょうね。先生はそのことを因果とも思わず、アクロイドを殺したこともさして後悔している様子も見せずにその道を選びとろうとするわけですが――この結びの言葉によって、深刻な悲壮感のようなものは払拭されている。
「だってこれ、結局はどこにでもいるお馬鹿さんたちがしでかした、よくある物語だもの」と、アガサ・クリスティがウィンクしてるようにも思えるというか……『ナイルに死す』の終わり方もそうですが、終わり方に希望や未来のある結末というのか、シェパード先生も結局のところ、本当には死んでいないように思える終わり方が、なんとも心憎くてクリスティらしいとも思うわけです♪(^^)
 う゛~ん、よく言われる語り手が犯人というのが「フェアかアンフェアか」っていう議論には、自分的にはまったく興味がありませんでした。でも、『アクロイド殺し』が出版された1926年には、やっぱり推理小説界にとってはセンセーションナルだったっていうことなんでしょうね。。。
 そして、この一冊の小説が、アガサ・クリスティーという女性の一生をも変えたと言えるのかもしれません。
 クリスティが『アクロイド殺し』の執筆に夢中になっている時、最初の夫であるアーチボルド・クリスティーは、ナンシー・ニールという女性と浮気中でした。でもアガサがそのことを知ったのはもう少し後のことで……結局クリスティーはそんな夫に対するあてつけのために、失踪事件まで起こすわけですが、そのことが彼女にとって一生深い傷として残ることになるわけです。
 アーチーと金銭のことで言い合いになったり、浮気のことで喧嘩になったり、またアガサが作家として有名になったことも、夫婦間の溝を深めたことを考えると――人間はふたつの幸福を同時に手にすることは難しいものだという、一種ありきたりの人生論について、思わず考えずにはいられません。
 でも、そうした複雑で生々しい感情について、アガサはよくよく知りつくしていたからこそ――推理小説の歴史に残る傑作と呼ばれるものを書けたのではないかと思うんですよね。そしてその点についてこそ、わたしがもっともクリスティに惹かれる理由なんだとも思います。
 透徹した客観性によって、「よくいるお馬鹿さんなフツーの人たち☆」を登場人物として秀逸に描いたクリスティ……でも、自分もまた人から見れば、そんなうちのひとりだということをも、彼女は自覚していたんでしょうね。
 マープルおばさんのこの言葉は、アガサの人生哲学にも、きっと一脈通じていただろうと思います。

「人間なんてみんな、似たりよったりですからね。ただ、都合のいいことに、あなたたちがそれに気づかないだけで」

 これは『火曜クラブ』に所収の『聖ペテロの指のあと』で、マープルおばさんが言うセリフですが――そのうち、これらのお話についても、ひとつひとつ感想を記事に出来たらいいなって思っています♪
 それではまた~!!(^^)/




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